2014年10月20日月曜日

大分県の湯布院温泉の人気





由布院温泉(ゆふいんおんせん)は、大分県由布市湯布院町(旧国豊後国速見郡)にある温泉。

すぐそばに聳える由布岳(火山:標高1,584m)の恵みを受けた豊富な湯量を誇っている。

 地域の特徴を生かした、温泉街を目指して、成功した地域である。
 まず恵まれた、温泉湧出量は毎分38,600Lで、全国3位の量である。
 源泉の数は852本存在し、これは別府温泉に次いで全国第2位なのである。
バブルの乱開発を逃れ、今の湯布院温泉ブランドが確立しているのは訳がある。
湯布院の発展の歴史
油屋が開発 
由布院の静かで田園的な温泉地・温泉郷というイメージはかなり前からあった。

 由布院を最初に温泉保養地にしたのは、大正時代この地に自分の私的な
別荘を作った油屋熊八さんです。

油屋熊八さんは、別府における近代的温泉地づくりの元祖で、
亀の井ホテル・亀の井バスの創設者でもある。

彼は由布岳の麓の静かな温泉地が気に入り、金鱗湖の畔に私的な奥座敷として別荘を建設した。

 そして亀の井ホテルの客や、内外から著名人を招き接待をしていたのです。

 彼はこの別荘(現在の亀の井別荘)の管理を中谷巳次郎に任せ、この後に旅館も数軒建てられた。

大正末期には「ロマン主義」を携えてドイツ留学から帰国した林学博士や、

本多静六氏がこの地で『由布院温泉発展策』という講演を行い、ドイツのバーデンバーデンに学ぶ、

自然を多く取り入れた静かな温泉地づくりを提案している。

 温泉を中心とした街のあり方を考える、人々が表れている。

 1971年6月、「明日の由布院を考える会」の中心メンバーだった志手さん、

溝口さん、中谷さんの三人の青年は、欧州へ50日間に及ぶ町づくり視察研修旅行に

旅立つことになる。

 そして、西ドイツ(当時)の保養温泉地構想を学び、理想を胸に帰国する。

先に西ドイツを視察し、理想の保養温泉地を頭に描いていた

岩男町長はじめ関係者の大きな期待がかかっていた。

 この様に、温泉の構想は、人材育成から始まったのです。

欧州でつかんだもの、それはその後の由布院のありかたを決定付けるものとなりました。

 そう、湯布院は明確なイメージのもとに、時間をかけて作られてきた街なのである。






 湯布院温泉の宣伝

 多くの温泉街が、衰退をたどる中、先を見越したキャンーペーンが成功を収めてきた。
 
 その1つが、手作りイベントを企画して、温泉だけでない、街の魅力を作り出す努力がされてきた。

  どの様に、湯布院の知名度を上げてきたのだろうか。 

 「手づくり」の「ゆふいん音楽祭」
 「午喰い絶叫大会」1976年10月開始し現在まで開催されている。






1975年8月開始され2009年まで開催された。

 「湯布院映画祭」1976年8月開始と、様々な文化的イベントを立ち上げた。

そのどれもが成功し、芸能人、知識人等都会の人間も巻き込みながら、温泉だけでなく「芸術の町」由布院の存在を全国的に有名にし湯布院ブランドを形造るものとなった。




 リピート客を増やす努力

  温泉街にありがちな歓楽色を排して女性が訪れたくなるような環境整備を続けてきた。

   このような、街つくりには、長年心がくだかれてきた。

 バブル期の大型開発計画は、適正な規模や景観を守るため大きな挑戦となったが、
抵抗運動が行われて景観が守られて来た。

人気の過熱が続く現在も、街の景観も変わりつつあり、温泉のあり方についての模索が続いている。

湯布院温泉特集

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